
叢書 | 初版 |
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出版社 | 光風社出版 |
発行日 | 1991/11/20 |
装幀 | 山口喜造、佐々木光 |
収録作品
- 第一話 身元不明につき
- 第二話 甘い生活
- 第三話 夢で会いましょう
- 第四話 自転車泥棒
- 第五話 地獄表を見る男
- 第六話 しつけの問題
- 第七話 ビニールハウス
- 第八話 追放船
- 第九話 竜の侍
- 第十話 誰も知らない空港で
- 第十一話 システムダウン
内容紹介
はじめに
SF、ミステリー、幻想小説、時代小説──多様なジャンルを手掛ける作家・山田正紀。その作品世界は時に大胆な実験性を持ち、読者の予想を超える展開を繰り広げる。本書『1ダースまであとひとつ』は、そんな氏の作風を凝縮した短編集だ。
本作に収録された11編は、日常に潜む異質な要素を炙り出し、読者に新たな視点をもたらす。幻想的なミステリーからSF、ユーモア小説まで、ジャンルの垣根を超えて展開される物語は、どれも強烈な印象を残すものばかりだ。
本記事では、各短編のあらすじと魅力を解説しながら、本作の持つ多彩な魅力に迫る。
各短編の紹介と解説
「身元不明につき」
幽霊に取り憑かれた男性・田島を主人公とした本作は、ホラー小説の体裁を取りながら、実は人間の孤独と自己認識についての深い洞察を含んでいる。特筆すべきは、幽霊という超自然的な存在を通じて、現代社会における個人のアイデンティティの危うさを描き出した点である。取り憑いた幽霊の正体を追う展開は、実は自分自身を探す旅の隠喩として機能している。
「甘い生活」
一見、家庭内ミステリの定石を踏むかに見える本作だが、その展開は読者の予想を完全に裏切る。妻の手作りお菓子という日常的なモチーフを通じて、夫婦間の信頼と疑念という普遍的なテーマを描きながら、最後に示される真相は極めて斬新である。特に、興信所の調査員という外部の視点を導入することで、物語に新たな層を加えることに成功している。
「夢で会いましょう」
現実と夢の境界を曖昧にする本作は、分身譚の新しい可能性を提示している。主人公・孝志の体験する「正太郎」の人生は、彼自身の願望充足の投影でありながら、次第にそれが現実の生活を侵食していく様は、現代人の持つ理想と現実の乖離を象徴的に描き出している。
「自転車泥棒」
本作は、イタリア映画「自転車泥棒」を彷彿とさせるタイトルを持ちながら、全く異なる文脈で展開される。「TAKEMURA」という名前が記された自転車を巡る物語は、アイデンティティの所在という深いテーマを、軽やかなタッチで描き出すことに成功している。
「地獄表を見る男」
伝統的な推理小説の要素を取り入れながら、そこに都市伝説的な「地獄表」という要素を加えることで、独特の緊張感を生み出している。不倫、殺人計画、そして因果応報といったモチーフを巧みに織り交ぜ、人間の業の深さを浮き彫りにする。
「しつけの問題」
書簡体小説の形式を採用した本作は、新聞への投書から始まる市民の議論が、予期せぬ方向へと発展していく様を描く。現代のSNSにおける炎上現象を予見するかのような展開は、群衆心理の危うさを鋭く指摘している。
「ビニールハウス」
SFとしての設定の斬新さと、それを地球上に再現するという発想の妙が光る作品である。金星の環境を模した施設という設定は、人類の宇宙進出への夢と、その挫折という二つの要素を象徴的に表現している。
「追放船」
実験的な文体と特殊なレイアウトを用いた本作は、従来のSF小説の形式を大きく逸脱している。物語性よりも、宇宙空間における存在の在り方という哲学的なテーマに重きを置いた野心作である。
「竜の侍」
本短編集の白眉と言える本作は、時代小説の形式を取りながら、そこにSF的な要素を見事に融合させている。恐竜の化石発掘という近代科学的なモチーフと、武士道精神という伝統的な価値観の対比が、作品に重層的な深みを与えている。特に、主人公・裕之介の内面における科学的好奇心と武士としての義務の葛藤は、極めて説得力を持って描かれている。
「誰も知らない空港で」
作家という職業を持つ主人公の自己否定的な内面描写は、創作という営みそのものへの深い省察を含んでいる。異国の空港という非日常的な空間を舞台に、アイデンティティの揺らぎを描く本作は、作家としての山田自身の内面をも垣間見せる作品となっている。
「システムダウン」
コンピュータ・マニュアルという独特の形式を採用した本作は、デジタル社会における人間の存在を問い直す警世的なSF作品である。横書きで後ろから読むという実験的な試みも、作品のテーマと見事に呼応している。
まとめ
『1ダースまであとひとつ』は、ミステリー、ホラー、SF、ユーモアと、山田正紀の多彩な作風を凝縮した短編集である。どの作品も異なるテイストを持ちながら、根底には「異質なものとの遭遇」という共通のテーマが流れている。
特に印象的だったのは、 時代小説×恐竜の発掘を描いた「竜の侍」、シュールなブラックユーモアが光る 「甘い生活」、そして計算し尽くされたサスペンス 「地獄表を見る男」。
そして、投書という形式を活かしたユニークなミステリーである 「しつけの問題」 は、読んだ当時、構成の妙に唸ったものです(というのを思い出した)。
つまり、しばらくこの作品の存在を忘れていたのですが、後年(ざっと30年後💦)「serach サーチ」という映画を観た時、面白さと同時に軽いデジャヴに襲われました。ただ、それがなんの記憶かということまではわからなかったのですが、これはどこかで経験した話だよなあ、とは思いました(あ、映画は「物語がすべてパソコンの画面上を捉えた映像で進行していくサスペンススリラー」です。よくできています)。
それが、今回この記事を書いたことで思いがけなくそのデジャヴの正体を思い出したというわけです。ま、ストーリーは全く違うのですが、発想とテクニックに何か同種のものを感じたのでしょう。
で、こんなことを考えてみました。
「しつけの問題」は新聞の投書欄が舞台となり、そこから議論が発展していく構造の作品でした。しかし、もしこの物語がもっと後のSNS時代に書かれていたとしたら、というものです。きっと、その展開は大きく変わっていたでしょう。
SNS時代の「しつけの問題」──拡散と炎上の物語へ
1. 投書欄からSNSへ──拡散のスピードが加速する
新聞の投書欄が舞台だった原作では、読者の反応が新聞に掲載されるまでの時間というフィルターを通じていました。しかし、SNSではリアルタイムで意見が飛び交い、一瞬にして拡散します。
例えば、こんな風に展開するかもしれません。
- あるユーザーが「最近、子供のしつけがなっていない」とX(旧Twitter)やFacebookに投稿。
- これに対して「しつけは親の責任」「いや、社会全体の問題だ」などのリプライが殺到。
- インフルエンサーやニュースメディアが取り上げ、「しつけ論争」 がヒートアップ。
ここで重要なのは、SNSでは投書欄のように「編集者のチェック」がないため、一気に過激な議論に発展しやすいことです。
2. 匿名性とバズる快感──論争が暴走する
原作の「しつけの問題」では、あくまで投書のやりとりの中で議論が広がっていきました。しかし、SNSでは誰もが自由に発言でき、時には匿名のアカウントが議論を煽ります。
- 「過保護すぎる親が増えたのでは?」という意見に対し、「昔の価値観を押し付けるな!」と反論。
- ある著名人が「子供に厳しいしつけをすべき」と発言し、賛否両論が巻き起こる。
- ついには、実際の「しつけの厳しい家庭」や「放任主義の家庭」が動画付きで晒され、炎上。
SNSでは論争が感情的になりやすく、個人攻撃に発展する可能性が高いのが特徴です。原作が「推理マニアによる知的な議論」へと進んだのに対し、SNS版では炎上し、収拾がつかなくなるかもしれません。
3. AIとフェイクニュースの問題──事実が見えなくなる
SNSでは、拡散される情報の中にフェイクニュースや誤情報が混じることがよくあります。
- AIが自動生成した「しつけの問題」に関する架空のエピソードが出回る。
- 「この親は子供を叩いてしつけている」など、誇張されたデマ動画が拡散。
- まったく関係のない一般人が「炎上の当事者」として特定される。
原作では、あくまで新聞という信頼性のあるメディア内で議論が進行しました。しかし、SNS版では「誰が本当のことを言っているのか」がどんどん曖昧になり、混乱が生まれるでしょう。
SNS時代の「しつけの問題」の結末は?
では、現代版「しつけの問題」はどんな結末を迎えるでしょうか?
- パターン1:拡散しすぎて元の投稿者が消える
- ・元々投書をした人(SNS版では最初の投稿者)が、あまりに騒ぎが大きくなり、アカウントを削除して消える。
- ・しかし、議論は止まらず「この問題は社会全体の課題だ」と、別の形で拡散し続ける。
- パターン2:社会問題として扱われるが、結局解決しない
- ・マスメディアが「SNSでしつけ論争が勃発」と取り上げる。
- ・有識者が「今のしつけのあり方」について議論をするが、具体的な結論は出ない。
- ・数日後には別の炎上案件が起こり、人々の関心は別の話題へ移る。
- パターン3:フィクションだったことが判明
- ・誰かが「この元の投稿、実は作り話だった」と暴露する。
- ・しかし、ここまで議論が加熱した後では「でも本当にこういう問題はあるし」と、議論自体は終わらない。
SNS版「しつけの問題」のポイント
- 拡散のスピードが速すぎて、議論が制御不能に
- 個人攻撃が発生し、議論が感情的になりやすい
- フェイクニュースやAI生成コンテンツが混じり、何が本当かわからなくなる
- 話題は数日で移り変わり、根本的な解決には至らないことが多い
原作の「しつけの問題」が持っていた「知的な議論と論理の応酬」は、SNS時代では「感情的な対立と炎上」になってしまう可能性が高いですね。
もし山田正紀が現代版を書いたとしたら、「SNSでの炎上を冷静に利用する推理マニア」 のような登場人物が現れ(検閲図書館 黙忌一郎か? ま、風水火那子が適任か😉)、議論の流れを操る知的ゲームとして描かれるかもしれません。
最後に──SNS版「しつけの問題」は実際に起こりうる?
実際に、SNSでは「しつけ」や「子育て」に関する炎上案件がたびたび発生しています。
例えば、
- 「電車の中で子供が騒ぐのは親の責任か?」論争
- 「給食を残すのは悪いこと?」議論
- 「叱る育児 vs ほめる育児」対決
これらはすべて、「しつけの問題」と共通するテーマを持っています。つまり、現代において「しつけの問題」がSNSで再構築されたら、フィクションではなく現実に起こってしまう可能性が高いのです。
まとめ|SNS時代の「しつけの問題」から考えること
『1ダースまであとひとつ』に収録された「しつけの問題」は、新聞の投書欄というフィルターを通じた知的な論争だった。しかし、SNS時代では、フィルターのない「直接的な対立」が生まれやすく、議論が制御不能に陥る可能性が高い。
もし現代版が描かれるなら、
- 炎上を利用して真相を暴く探偵的なキャラクター
- 議論を扇動するSNSインフルエンサー
- AIやフェイクニュースの要素を加えたストーリー展開
こうした要素を盛り込むことで、さらに現代的なサスペンスに発展しそうです。
山田正紀が今このテーマをどう料理するのか、ぜひ読んでみたいですね!
ちょっとした感傷から話が長くなりましたが、こんな感じで、本書を読み終えたとき、タイトルの意味がじわじわと効いてくる。「あとひとつ」とは何なのか——その答えは、読者それぞれの中にあるのかもしれません。