叢書 | 初版 |
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出版社 | 文藝春秋社 |
発行日 | 1982/04/25 |
装幀 | 杉原玲子、花村広 |
収録作品
- 友達はどこにいる
- 回転扉
- ネコのいる風景
- 撃たれる男
- ねじおじ
- 少女と武者人形
- カトマンズ・ラプソディ
- 遭難
- 泣かない子供は
- 壁の目
- ホテルでシャワーを
- ラスト・オーダー
内容紹介
作品概要
山田正紀の短編集『少女と武者人形』は、読者を驚きと不思議さで満たす12の物語を収録した、直木賞候補作品です。一年間にわたって書き継がれたこれらの作品は、テーマもジャンルも定めずに自由に創作された結果、独特の"奇妙な味"を持つ短編集となりました。
本書に収められた12の物語は、日常の中に潜む不思議や恐怖、そして人間の複雑な心理を鮮やかに描き出しています。現実と幻想の境界線を巧みに操る山田正紀の筆致は、読者を予想外の展開へと導き、時に戸惑いを、時に深い感動をもたらします。
それでは、収録された12の作品を順に紹介していきましょう。
1. 「友達はどこにいる」
この物語は、一年前のひき逃げ事故で被害者を死なせてしまったサラリーマン・栗田の葛藤を描いています。事故の被害者の父親である老人・柴山に強請られ続けた栗田は、柴山の急死に安堵します。しかし、柴山が残した「ひき逃げの件を書き記した手紙を友達に預けた」という言葉に愕然とし、必死に柴山の友達を探し回ります。
作品は、栗田の焦燥感と罪悪感を巧みに描き出し、読者を緊張感あふれる展開へと引き込みます。特に、オチがついた後の栗田の行動が、読者に複雑な感情を抱かせ、強烈な印象を残します。人間の弱さと罪の重さを浮き彫りにした、重厚な作品といえるでしょう。
2. 「回転扉」
高級ホテルの象徴でもある回転扉を舞台に、社会の階層と人間の尊厳を問う物語です。格式高いT-ホテルの回転扉を出入りする客たちを観察する「われわれ」の視点から、みすぼらしい若者が回転扉を通り抜けようとする様子が描かれます。
若者が何度も挑戦しても回転扉をくぐれない姿は、一見滑稽に感じられますが、同時に社会の冷酷さと排他性を象徴しています。ラストシーンは読者にヒヤリとさせる衝撃的な展開となっており、社会の不条理さを鋭く指摘しています。
この作品は、日常の中に潜む差別や偏見を、回転扉という象徴的な装置を通して浮き彫りにしており、読者に深い思索を促します。
3. 「ネコのいる風景」
この物語は、主人公の「私」とネコとの不思議な縁を描いています。ネコ好きだった母の死後、老猫を引き取った「私」の人生には、奇妙にネコが寄り添ってきました。久しぶりに母との思い出の地である動物霊園を訪れた「私」の体験を通じて、現実と幻想が交錯する不思議な世界が展開されます。
日常の風景の中に突如として現れる幻想的な要素が、主人公の恐怖と共に鮮やかに描かれています。この作品は、愛する者の死と喪失感、そして記憶と現実の曖昧さを巧みに表現しており、読者の心に深く響く感動的な短編となっています。
4. 「撃たれる男」
記憶を失った主人公が、自分を狙う何者かと死闘を繰り広げる、スリリングな物語です。銃弾がこめかみをかすった瞬間に記憶を失った彼は、自分が誰に、どうして狙われているのかもわからないまま、懸命に応戦します。
緊迫感あふれる展開の中で、主人公の知力と機転が生き生きと描かれており、読者を息もつかせぬ展開へと導きます。しかし、死闘の果てに待っていた皮肉な結末は、読者の予想を裏切る鮮やかなオチとなっています。
この作品は、アクション要素と心理描写を巧みに融合させ、記憶喪失という設定を活かしたミステリアスな雰囲気が印象的です。読者は主人公と共に真実を追い求め、最後まで目が離せない展開に引き込まれることでしょう。
5. 「ねじおじ」
「ねじおじ」は、日常の中に潜む異質な存在と、それに魅了されていく人間の姿を描いた作品です。公園の周囲をわき目も振らずひたすら競歩し続ける男・"ねじおじ"に、会社人間の小林が次第に興味を引かれていく様子が描かれます。
"ねじおじ"の奇矯な行動は非常に印象的で、読者の脳裏に鮮明に焼き付きます。また、そのネーミングの妙も秀逸で、文字通り「ねじが外れた」ような異様さを感じさせます。
小林が"ねじおじ"に自分を重ね合わせていく過程は、現代社会を生きる人々の孤独や疎外感、そして内なる狂気を浮き彫りにしています。日常の中に潜む奇妙さと、それに惹かれていく人間の心理を巧みに描いた、印象深い作品といえるでしょう。
6. 「少女と武者人形」
本短編集の表題作であるこの物語は、幻想的な雰囲気と少女の複雑な心理を見事に描き出した傑作です。屋根裏部屋にしまわれた武者人形の剣から血が噴き出すと家族が死ぬ――そう信じ込んでいた少女が、叔母と父の到着を待つ間に屋根裏部屋に入り込む様子が描かれます。
主人公の少女の複雑で微妙な心理が繊細に描かれており、読者は少女の不安と好奇心、そして家族への複雑な感情を共有することができます。現実と幻想が交錯する幻想的な世界観は、読者を魅了し、深い余韻を残します。
この作品は、子供の想像力と現実世界との境界線、そして家族関係の複雑さを巧みに表現しており、短編集の中でも特に印象的な一篇となっています。
7. 「カトマンズ・ラプソディ」
「カトマンズ・ラプソディ」は、山登りに取り憑かれた幸男が、なぜかヒマラヤ遠征の際には必ずカトマンズにとどまる理由を探る物語です。出発を前にしてカトマンズの魅力を恋人に語る幸男の姿が描かれますが、遠征から戻ってきた後の展開が読者を驚かせます。
この作品は、人間の夢と現実、理想と現実の乖離を巧みに描いています。主人公の幸男と彼の恋人、双方の気持ちが理解できるだけに、読者は複雑な感情を抱くことになります。特に、ラストでの幸男の行動は強烈な印象を残し、読者に深い余韻を与えます。
旅と人生、夢と現実の関係性を、カトマンズという異国の地を舞台に描き出した本作は、読者の心に静かに、しかし確実に響く短編となっています。
8. 「遭難」
「遭難」は、些細な事故が徐々に大きな危機へと発展していく様子を描いた緊張感あふれる物語です。バイクでツーリング中に山道で転倒してしまった石岡が、車が通りかかるのを待つ間に、台風の接近で状況が悪化していく様子が描かれます。
主人公の焦りと恐怖が巧みに描かれており、読者は石岡の緊迫した状況を共有することになります。些細な出来事が予想外の展開を生み、人間の無力さを浮き彫りにしていく様子は、読者に強い印象を与えます。
特にラストの一文は秀逸で、全体の雰囲気を見事に締めくくっています。この作品は、日常の中に潜む危険と、人間の脆弱さを鋭く描き出した印象的な短編といえるでしょう。
9. 「泣かない子供は」
「泣かない子供は」は、"泣かない子供はネズミをとる"という奇妙な言葉に取り憑かれてきた良平の人生を描いた物語です。難産の末に生まれた娘が、さして泣き声も上げずおとなしいのを見て、良平は久々にその言葉を思い出します。
この作品は、間違った言葉や思い込みが人生にどのような影響を与えるかを巧みに描いています。良平の人生における奇妙な屈折が鮮やかに描かれており、読者に深い考察を促します。
言葉の持つ力、そして人間の思い込みがいかに強力で危険なものであるかを示唆するこの短編は、読者の心に深く刻まれる印象的な作品となっています。
10. 「壁の音」
「壁の音」は、死を身近に感じてきた涼子の複雑な心理を描いた物語です。幼い頃から祖母に「"壁の音"を耳にした者には、必ず死が訪れる」と教えられてきた涼子が、今夜こそ壁の音を聞くことになるような気がして、過去を回想していく様子が描かれます。
生よりも死に親しみを感じてきた主人公の複雑な心理が印象的に描かれており、読者は涼子の内面世界に引き込まれていきます。死への恐怖と同時に、ある種の憧れのような感情を抱く涼子の姿は、人間の死生観について深い洞察を与えてくれます。
この作品は、死と生の境界線、そして人間の死に対する複雑な感情を繊細に描き出しており、読者に深い思索を促す秀作となっています。
11. 「ホテルでシャワーを」
「ホテルでシャワーを」は、海外出張から帰る途中で東南アジアの国に立ち寄った商社マン・吉田の不条理な体験を描いた作品です。冷たい雨の中、ホテルでシャワーを浴びて休みたいという単純な願いを持つ吉田が、タクシーの運転手にしつこく絡まれてしまう様子が描かれます。
この作品の特徴は、徹底した不条理さにあります。吉田の望みが「ホテルでシャワーを浴びる」という極めてささやかなものであるだけに、彼が遭遇する状況の不条理さが一層際立っています。
読者は吉田と共に frustration を感じながら、現代社会における個人の無力さと、異文化コミュニケーションの難しさを実感することになるでしょう。シンプルな設定ながら、読者の心に鋭く突き刺さる印象的な短編となっています。
12. 「ラスト・オーダー」
短編集の締めくくりを飾るこの作品は、雪の降りしきる中、バーを閉める最後の夜に訪れた3人の客の物語です。店の経営に失敗した男、死を考える老人、失恋に泣く女――それぞれの人生の岐路に立つ3人が、ラスト・オーダーとして水割りを注文する様子が描かれます。
この作品の魅力は、3人のラスト・オーダーを重ね合わせることで生まれる深い余韻にあります。各人物の人生の一瞬を切り取り、そこに交錯する運命を描くことで、人生の儚さを鮮やかに表現しています。また、雪という舞台装置が効果的に機能しており、物語全体に独特の寂寥感を与えています。
この短編は、人生の終わりと始まり、そして人々の繋がりを静かに、しかし力強く描き出しており、読者の心に深く残る作品となっています。『ヨハネの剣』に収録されている「雪のなかのふたり」とも通じる雰囲気があり、作者の雪景色への独特の感性が感じられます。
総評:日常と非日常の境界を揺るがす12の物語
山田正紀の『少女と武者人形』は、日常の中に潜む不思議や恐怖、そして人間の複雑な心理を鮮やかに描き出した傑作短編集です。12の物語それぞれが独自の魅力を持ち、読者を予想外の展開へと導きます。
本書の特筆すべき点は以下の通りです:
- 多彩なテーマと題材: 本書に収められた12の短編は、ミステリー、ホラー、ファンタジー、そして現代社会の風刺まで、幅広いジャンルとテーマを扱っています。この多様性が、読者を飽きさせることなく、次々と新鮮な世界へと誘います。
- 日常と非日常の絶妙な融合: 山田正紀の筆力が最も発揮されているのは、日常的な風景や出来事の中に、突如として現れる非日常的な要素です。この日常と非日常の境界線を巧みに操ることで、読者に「現実とは何か」という深い問いを投げかけています。
- 鋭い人間観察: 各作品に登場する人物たちの心理描写は非常に繊細で深みがあります。人間の弱さや欲望、恐怖や希望といった複雑な感情が、リアリティを持って描かれており、読者は自然と登場人物に感情移入することになります。
- 独特の文体と表現力: 山田正紀特有の文体は、簡潔でありながら豊かな情景描写と心理描写を可能にしています。特に、幻想的な場面や不可思議な出来事を描く際の表現力は秀逸で、読者の想像力を大いに刺激します。
- 予想外の展開とオチ: 多くの作品が、読者の予想を裏切る鮮やかな展開やオチを持っています。これにより、読者は最後まで緊張感を持って物語に没頭することができます。
- 社会への鋭い洞察: 表面上はファンタジーや不思議な物語に見えながら、その根底には現代社会への鋭い批評や洞察が込められています。「回転扉」や「ホテルでシャワーを」などは、特にその傾向が顕著な作品といえるでしょう。
- 余韻の深さ: 各作品は、読了後も読者の心に深い余韻を残します。特に「ラスト・オーダー」のような作品は、読み終わった後も長く心に残り、人生や社会について考えさせられる力を持っています。
『少女と武者人形』は、エンターテインメントとしての面白さと、文学作品としての深さを兼ね備えた珠玉の短編集です。日常に潜む不思議や恐怖、人間の複雑な心理を鮮やかに描き出し、読者の想像力を大いに刺激します。
この作品集は、現実と幻想の境界線を自在に行き来する山田正紀の卓越した創作力を存分に味わうことができる一冊といえるでしょう。短編小説の魅力を存分に引き出し、読者を12の異なる世界へと誘う本書は、日本の現代文学における重要な作品として高く評価されるべきものです。
各物語が持つ独自の魅力と、全体を通して感じられる不思議な統一感。そして何より、読了後に残る深い余韻。これらが相まって、『少女と武者人形』は読者の心に長く残る、忘れがたい作品集となっています。現代の喧騒から一歩離れ、不思議で奇妙な物語の世界に浸りたい方に、ぜひおすすめしたい一冊です。
文庫・再刊情報
叢書 | 文春文庫 |
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出版社 | 文藝春秋社 |
発行日 | 1985/03/25 |
装幀 | 杉原玲子 |
叢書 | 集英社文庫 |
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出版社 | 集英社 |
発行日 | 2000/05/25 |
装幀 | 斎藤昌子、安藤勝博 |